田能村直入年表



この年表は 田能村直入の門弟 奥田天門が書いた 明治41年4月発行の「直入先生系傳」を
基にまとめたものです (表示されている年齢は すべて数え年になっています)

西暦 邦暦 年齢 摘       要
1814年 文化11年 甲戌 1歳 2月15日 豊後岡藩 三宮傳右衛門の三男として 大分県直入郡竹田寺町の自宅に生まれる
1815年 文化12年 乙亥 2歳  
1816年 文化13年 丙子 3歳 源頼光、渡邊綱、臼井定光、坂田金時、平井保昌などの武者絵を描く
1817年 文化14年 丁丑 4歳  
1818年 文政元年 戊寅 5歳 伯父 渡邊蓬島に漢書を学ぶ
1819年 文政2年 己卯 6歳 豊後岡藩 伊藤源兵衛に習字を学ぶ
1820年 文政3年 庚辰 7歳 岡本梅雪に狩野派の画法を学ぶ
1821年 文政4年 辛巳 8歳 關羽の像を描く
1822年 文政5年 壬午 9歳 この年の秋 田能村竹田の私塾「竹田荘」に入塾する
1823年 文政6年 癸未 10歳  
1824年 文政7年 甲申 11歳  
1825年 文政8年 乙酉 12歳  
1826年 文政9年 丙戌 13歳 三宅哲太郎に就いて詩を学ぶ
1827年 文政10年 丁亥 14歳  
1828年 文政11年 戊子 15歳  
1829年 文政12年 己丑 16歳 安東不達に千家表式点茶法を学ぶ
1830年 天保元年 庚寅 17歳 角田九華に朱子学の講義を聞く
栗生源之丞に撃剣東軍流を学ぶ
1831年 天保2年 辛卯 18歳 古田馬之丞に織部流聞香式を学ぶ この年の8月 竹田に付いて別府温泉に遊歴
名を「癡」から「小虎」に改める
1832年 天保3年 壬辰 19歳  
1833年 天保4年 癸巳 20歳 2月 竹田に付いて備後尾道に遊歴
1834年 天保5年 甲午 21歳 大塩平八郎の先心堂に入熟し陽明学の講義を受け 傍ら佐武理流の槍術を学ぶ
1835年 天保6年 乙未 22歳 8月29日 田能村竹田亡くなる
1836年 天保7年 丙申 23歳 豊後佐伯、落之浦、下之村に遊歴する
海福寺にて「虎渓三笑図」「四季山水花鳥図」を描く
1837年 天保8年 丁酉 24歳 「六歌仙図一大額」を木原八幡宮に献納する
竹田居士三回忌法要を鶴崎の本満寺で開き「釈迦の図」を霊前に供する
1838年 天保9年 戊戌 25歳 再び豊後佐伯へ赴き 劇場の大幕に「墨梅紅旭の図」を描く
1839年 天保10年 己亥 26歳 関西に赴き堺桜町に居を構え 摂津、河内、京都などを歴遊する
1840年 天保11年 庚子 27歳 居を大阪堺の神明町に移し南宗画を業として家を興す
1841年 天保12年 辛丑 28歳 竹田居士七回忌法要を大阪口縄坂の浄春寺で開き「達磨図」「追悼七律一首」の二福を同寺に寄贈する
1842年 天保13年 壬寅 29歳 豊後に帰省する
1843年 天保14年 癸卯 30歳 堺に戻る
1844年 弘化元年 甲辰 31歳 岡田半江と共に泉州佐野へ遊歴
1845年 弘化2年 乙巳 32歳 紀州を遊歴し「和歌浦の真景」を描く
1846年 弘化3年 丙午 33歳 安土町に移転し「咬菜吟社」を起す
1847年 弘化4年 丁未 34歳 竹田居士十三回忌法要を大阪下寺町の二寺院にて開く
「白衣大士の像」を描き 豊後竹田の西光寺に寄贈する
1848年 嘉永元年 戊申 35歳 中村吉兵衛に蹴鞠法を学ぶ
雪堂和尚に大師流の筆法を学ぶ
1849年 嘉永2年 己酉 36歳 居を大阪の高麗橋西第五町芝軒坊に移す
天桂和尚より印可を得る
1850年 嘉永3年 庚戌 37歳  
1851年 嘉永4年 辛亥 38歳 大阪 天王寺の関帝堂の修理資金を助ける為 羅漢像五百幅を描き これを寄贈する
1852年 嘉永5年 壬子 39歳  
1853年 嘉永6年 癸丑 40歳  
1854年 安政元年 甲寅 41歳  
1855年 安政2年 乙卯 42歳 養子となった小斎を従えて その実家 播州北条に赴く
1856年 安政3年 丙辰 43歳 春木南溟と面会する
1857年 安政4年 丁巳 44歳 「岡城総景一覧図」を描き それを同藩の藩校に献上する
1858年 安政5年 戊午 45歳  
1859年 安政6年 己未 46歳 大阪高麗橋西に居を移し 小さな一室を築き これを「一文庵」と名づける
竹田居士の二十五回忌法要にあたり その追薦大会を大阪難波瑞龍寺で開く
1860年 万延元年 庚申 47歳 大阪の稲荷祠神楽堂點金障壁に「不老長春の図」を描き これを同寺に寄贈する
1861年 文久元年 辛酉 48歳  
1862年 文久2年 壬戌 49歳 売茶翁の百回忌にあたり「売茶翁像」を百幅描き その売上代金を資金として大阪で「青湾茶会」を開催する
1863年 文久3年 癸亥 50歳 秋 吉野の如意輪寺に詣でて 「延元帝像」及び「楠公父子像」を寄贈する
1864年 元治元年 甲子 51歳 夏 高野山自性院の障壁に「普陀山真景」及び「四季花弁大象」を描く
1865年 慶応元年 乙丑 52歳 再び高野山に赴き自性院にて茶会を開く
1866年 慶応2年 丙寅 53歳  
1867年 慶応3年 丁卯 54歳 竹田居士の三十三回忌法要を行なう
1868年 明治元年 戊辰 55歳 「小虎」の号を「直入」と改める
1869年 明治2年 己巳 56歳 2月 月瀬の梅花を賞してその「真景長巻」を描く
1870年 明治3年 庚午 57歳  
1871年 明治4年 辛未 58歳 播州高砂に遊歴の後 秋に但馬の城崎温泉に向かい 冬 再び播州に至る
1872年 明治5年 壬申 59歳 春 清水寺に参拝の後 丹波を経て亀岡より保津川を下って京都へ戻る
5月 淡路〜鳴門と遊歴の後 丹後に向かい 秋 伯州大山寺に参拝する
1873年 明治6年 癸酉 60歳 湯島温泉滞在の後 冬 豊岡に行き「呉雲楼」にて年を越す
1874年 明治7年 甲戌 61歳 再び湯島温泉に浴し後 豊岡で茶会を開き 6月に京都へ戻る
冬に丹後宮津を遊歴する 
1875年 明治8年 乙亥 62歳 2月 丹後宮津の「大市楼」て茶会を開く
1876年 明治9年 丙子 63歳 4月 江州を遊歴の後 秋に高野の永源寺にて紅葉を賞する
1877年 明治10年 丁丑 64歳 京都博覧会に「絖本水墨画」を出品し賞状と銀杯を賜る
天皇陛下の御前にて揮毫し 皇后陛下より白絹一疋を賜る
1878年 明治11年 戊寅 65歳 8月15日 京都府知事 槇村正直に画学校設立の建議書を提出する
9月 播州〜三備〜伯州を経て出雲に入る
1879年 明治12年 己卯 66歳 1月 松江に逗留し「梅花書屋」の六曲屏風を描く
1880年 明治13年 庚辰 67歳 7月1日 京都御苑内 旧准后里内裏を仮校舎して「京都府画学校」が開校となり
その摂理となる
1881年 明治14年 辛巳 68歳 京都寺町荒神口に画楼を築き これに移転する
1882年 明治15年 壬午 69歳 門弟 依田友石を伴って 東京で行なわれた第一回絵画共進会に赴き銅賞を受ける
「洛西栂尾秋景図」を天皇陛下に献上し白絹一疋を賜る
1883年 明治16年 癸未 70歳 静岡を経て芙蓉楼にて新年を迎える
1月 京都に戻り 秋に私塾を開く
1884年 明治17年 甲申 71歳 久邇宮殿下より「画神」の二文字を賜る
1885年 明治18年 乙酉 72歳 東京で行なわれた 第二回絵画共進会にて銀賞を受ける その後 福島〜日光など奥羽を遊歴の後 一旦京都に戻り その後 備前を遊歴する
1886年 明治19年 丙戌 73歳 豊前〜伊予と遊歴
第三回内国勧業博覧会にて二等を受賞する
1887年 明治20年 丁亥 74歳 大阪天満の天満宮境内に画神碑一基を建立する
1888年 明治21年 戊子 75歳 春 丹波氷上の門弟 安田鴨波の家にて「唯々庵」の偏額を書く
豊後に帰郷して画神碑を建立し書画大会を開く
1889年 明治22年 己丑 76歳 竹田居士五十五回忌の法要を行なう
1890年 明治23年 庚寅 77歳 春に備後へと入り 尾道に至る
1891年 明治24年 辛卯 78歳 福山〜西浜〜笠岡〜倉敷〜児島を遊歴
1892年 明治25年 壬辰 79歳 播州を経て京都に戻る
自邸増築の間 南宗画学校を一時 愛宕郡田中村に移し 冬 信州に遊歴する
1893年 明治26年 癸巳 80歳 夏 信州より京都に戻り「寿星像」を八十幅描き これを南宗画学校増築の資金にする
1894年 明治27年 甲午 81歳 播州より丹波篠山に赴き 門生 平尾竹霞の父 竹郭居士の薦事会に臨む
自邸内に増築した一室を「画神堂」と名づけ 南宗画学校もここに移す
1895年 明治28年 乙未 82歳 故人となった南画家の霊を祭る大展覧会を南宗画学校に於いて開催する
第四回内国勧業博覧会第二部の審査員を命ぜれる
1896年 明治29年 丙申 83歳 春に奈良〜河内を遊歴し 6月 京都に戻る
1897年 明治30年 丁酉 84歳 久邇宮殿下 画神堂を訪問
秋 美濃に遊歴
1898年 明治31年 戊戌 85歳 黄檗山獅子林に入り荒廃した古刹を自らの資金で改修し閑居とする
1899年 明治32年 己亥 86歳 得度して獅子林院住職となり 10月 竹田居士六十五回忌法要を行なう
冬 丹波篠山〜氷上を遊歴する
1900年 明治33年 庚子 87歳 春 丹波より京都に戻りし後 明石に歴遊 一旦帰省の後 秋に再び須磨を歴遊し
その後「日本南画協会支部」の発会式に臨むため大阪の吹田に赴く
1901年 明治34年 辛丑 88歳 3月 大阪で行なわれた「全国南宗画共進会」に於いて一等賞となる
1902年 明治35年 壬寅 89歳 黄檗山前管長の吉井虎林師と衝突し 後のことを次僧に托して 京都の洛東 若王子祠下に居を移す
1903年 明治36年 癸卯 90歳 2月に尾道を遊歴し 7月に京都へ戻り 11月に山中温泉に遊歴
1904年 明治37年 甲辰 91歳 勅命により「仙山楼閣」及び「渓楼観瀑」「海内平穏」の二福を描き白絹一疋を賜る
1905年 明治38年 乙巳 92歳 播州須磨に遊歴
1906年 明治39年 丙午 93歳 奈良〜桑名〜名古屋〜静岡〜東京と歴遊し久邇宮伏見宮両殿下に「水墨山水図」を
献上 その後 信州に向かい善光寺に参拝の後 名古屋で「日本南画協会十九大会」を開く
1907年 明治40年 丁未 94歳 1月21日 午後6時30分 家族と門人に看取られて永眠

 

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