田能村直入 「秋景山水図」


 

             

田能村直入は 文化11年2月15日 豊後 岡藩 三宮傳右衛門の三男として
直入郡竹田寺町で生まれました 幼名を傳太(又は松太)と言い 6歳の時に岡藩の
伊藤源兵衛に習字を習い 7歳の時 岡本梅雪に狩野派の画法を学び 9歳で田能村竹田の
画塾に入り その後竹田の養子となりました 初め小虎と号し 忘斎、幽谷斎、竹翁、布袋庵など
多くの号があります 明治13年7月1日に設立された 「京都府画学校」 の初代校長となり
明治24年には 自宅にあった私塾を 「私立南宗画学校」 として開校し 特に学資に乏しい人の
為に 有志金や自らの作品を売却することによって それを学資金としてし多くの子弟を教授しました
定員は10名 修業年数は3年として 田中栢陰や三宅竹隠、田能村小斎など多くの南画家たちが
その指導にあたりました 明治30年には自らが中心となり 「日本南画協会」 を結成するなど
南画振興のために尽くし 明治40年1月21日 午後6時30分に94歳で亡くなりました

 

部分拡大図(本紙は絖本)


  

                       

直入の弟子 田中柏陰、吉嗣拝山の二人が箱書きをしています



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